このブログは、アラフィフ、アメリカ企業でアパレルグラフィックデザイナーとして働いている私のこれまでの経歴、アメリカ移住・結婚・離婚・再出発について綴る全6話の連載です。
🔗【第1話】私がLAに移住を決めた理由 →(こちら)
🔗【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ →(こちら)
🔗【第3話】LAでの10年 →(こちら)
🔗【第4話】NYへ引っ越し、仕事と結婚そして離婚 →(こちら)
▶️【第5話】再びLAへ →(このページ)
🔗【最終話】人生を変えたいあなたへ →(こちら)
【第5話】再びLAへ
楽しいけど鳴かず飛ばずのキャリアと恋愛〜ブルックリンでの独身生活
離婚後、心機一転ブルックリンへ引っ越し、仕事も友人関係も知らない土地で一から構築していった私は、自分で人生を進んで行く自信を持ち、独身時代を楽しみました。
再婚も子供も諦めていなかったので、積極的にデートアプリを使って男性と軽い食事などのデートへ行ってましたが、4年経っても良いご縁がなく、40歳になった私は焦りと同時に未だシングルでいることがコンプレックになっていきました。
仕事も、特にチャレンジもなく安定した仕事を続けていました。『これで良いのかな?』って心のどこかで思っていましたが、特に自分が何を目指しているのかもわからなくて、キャリアの中弛みでした。
そんな中、LAへ遊びに行った時、滞在最終的日に、急にLAを離れたくない気持ちになりました。NYへ引っ越してからもちょくちょくLAへは遊びに帰ってましたが、なぜかその時だけは、青い空、広いビーチから離れたくないととても感情的になったのです。
『NYでは御縁もなさそうだし、このままNYでおひとりさまで年老いていくのも辛そうだ。思い切ってLAへ戻ったら何か変わるかな。』っと、この頃から少しずつLAへ戻る計画を考え始めました。

上手くはいかないLAへ戻る計画
LAへ戻るといっても、すぐにはできません。まずはLAの仕事探しをネットで始めました。なかなか良い仕事が見つからず苦戦。やはりNYの方がファッション業界の仕事も多くて給料も良い。物価は多少LAの方が安いかもしれなが、車をまた持たなくてはならない。現実的なことを細かく考えていたら意外と簡単にはできないことに気づき、LA戻る計画は一旦ヤメに。

LA戻る計画なんて忘れかけた半年後、LA時代の仕事繋がりの知人から、新しくアパレルブランドを始めるのでLAに来て正社員としてデザインを手伝ってくれないかと仕事のオファーを頂きました。これは願ってもないチャンス!タイミング良くて少し怖いぐらいでしたが、この大きな波に今乗らないとLAに今後戻れる機会がないかもしれないと思い、快く仕事を受けることにしました。その後数ヶ月して私は再びLAへ引っ越しました。

2回目のLA暮らしとパンデミック
LAへ戻り、新しい仕事と生活基盤を作るのにあっという間に一年が経った頃、新年早々、解雇に!
この時の仕事があまり自分に合っていないと自覚していたので、クビになって嫌な気持ちでしたが、結果良かったと今は思っています。

その後割とすぐに次の仕事が見つかり再就職。新しい職場に慣れたかな〜という一ヶ月後、パンデミックが始まりました。
リモートワークを開始した初日に上司から電話。嫌な予感。解雇を言い渡されました。
これは相当なショックでかなり凹みました。せっかく始めたばかりの仕事だったのに〜。ついてない。コロナの終息もどうなるか全く先が見えない時期だったので、収入が無くなる恐怖でパニックになり、この後しばらく自暴自棄と軽い鬱になりました。
キャリアチェンジに挑戦、断念、再就職
精神的にどん底に落ちて、落ち込む事にも疲れた頃、アメリカで失業手当が週$600追加支給されることが決まり、経済的にはなんとか最低限の生活を維持できそうだったので、少しすつ精神的に落ち着きをとり始めました。殆ど求人が無く、あっても酷い時給の仕事しかなく、失業保険で暮らす方が賢明でした。
時間だけはあったので、ビンチをチャンスにしなければと、キャリアチェンジを目指し、オンラインスクールに入学。
パンデミックによりアパレル業界の先もどうなるかわからない、やっぱりITがまだ将来性があるのだろうかと軽い気持ちでリサーチをしたら、UI/UX デザインという仕事を初めて知ることに。デザインのスキルも使えるので、これまでの経験も無駄にならず良いのではないかと学校へ入って勉強をすることにしました。半年弱でオンラインスクールも無事卒業。いくつか仕事の面接を受けましたが採用されるまでは至りませんでした。

失業して8ヶ月後、アパレルの仕事のオファーが。
幸いにも面接したその日に即採用してもらえることになり、本当にホッとしました!やっと働ける!
この仕事は現在も働いている会社です。
当時、この仕事を始めたばかりの頃は、UI/UX デザインの仕事も諦めてはいませんでした。しかし、長年やってきたアパレルグラフィックの仕事は、勝手が分かっておりスムーズに仕事が進むこと、そしてやっぱり経験が長く、なんだかんだ好きなことでもあるので居心地がよく、時間が経つにつれ、無理して頑張って他業界へ行かなくても良いのかもしれないとUI/UX への道は諦めました。
(UI/UXの勉強したことは決して無駄にはなっていません。こうやってワードプレスでブログサイトを作ったり、自分のポートフォリオのサイトをデザインする上で、UI/UXの知識はとても役立っています😉)
LAでの恋愛〜現在の彼に出会う

LAへ戻って来てからもデートアプリを使ってご縁を探していました。その中で出会ったのが現在の彼です。3歳年下のアメリカ人の彼。初めて会った時、話しやすく、趣味も共通するものが多く、彼の雰囲気全体が好きでした。日本へも何度か行ったことがあって、日本のことをよく知っていたのでポイントが高かったです。
現在付き合って6年になります。パンデミックもあったので、あっという間に月日が過ぎた感じです。
彼との関係は、肩の力を抜いて自分らしくいることが出来てとても楽です。
私の過去のお付き合いは、相手にに合わせて嫌われないようにと自分を装って、結局振り回されて疲れるパターンが多かった。彼への思いが強くて尽くしすぎていた傾向にあったと思います。そんな関係長続きはしませんよね。
今の彼は、私を常に優先してくれて大事にしてくれているので、一緒に居ると安心感があるからリラックスして付き合えて長く続いているのかも知れません。
私たちはおそらくこのままずっと一緒にいると思います。二人の老後のことや将来の話を頻繁にしてます。けれど今の私は結婚はどちらでも良いです。今後気持ちが変わるかもしれないですが、特に重視はしてません。
そして、私たちは同棲もしてません。お互いの家が近いので特に不便を感じず、私は自分のアパートが好きで誰にも邪魔されない一人のスペースを最高と思ってます。物価高のため、そのうち一緒に住むことになりそうですが、特に期限を決めるわけでもなく、現在はこの心地よいお付き合いで幸せです。
「結婚」や「一緒に住むこと」にこだわらず、お互いに自立しながら支え合える関係って、アラフィフになった今だからこそ自然にできる気がします。
やっと“本当に心地よい場所”になった!?


LAに帰って来てから2度の解雇にパンデミックとアンラッキーな日々が続きましたが、やっと数年前から平和な日々になり、長く付き合う彼が居て、大きな青い空、いつでもビーチや山に行けるロケーション、過ごしやすい気候のLAは、私にとって“本当に心地よい場所”となりました。やっぱり帰ってきてよかった。
昨今のアメリカ情勢で昔ほどアメリカ愛が減ってきて、日本で暮らすのもアリかなっとも思いますが、しばらくはLAで暮らしていきたいと思っています。
次回予告 ▶️【最終話】人生を変えたいあなたへ
→ これまでを振り返りながら、日本にいる人生を変えたいと思っている40~50代の女性たちに向けたメッセージを書きます。