LAで夢を追い、NYで揉まれ、またLAへ:私のアメリカ生活25年のストーリー【第2話】

このブログは、アラフィフ、アメリカ企業でアパレルグラフィックデザイナーとして働いている私のこれまでの経歴、アメリカ移住・結婚・離婚・再出発について綴る全6話の連載です

🔗【第1話】私がLAに移住を決めた理由 →(こちら

▶️【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ →(このページ)  

🔗【第3話】LAでの10年 →(近日公開)  

🔗【第4話】NYへ引っ越し、仕事と結婚そして離婚 →(近日公開)  

🔗【第5話】再びLAへ →(近日公開)  

🔗【最終話】人生を変えたいあなたへ →(近日公開

【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ

不安でいっぱいの出発日


大学を卒業後、数ヶ月して私はロサンゼルス行きの飛行機に乗りました。
飛行機に乗るまでは出発するのが待ち遠しかったぐらいワクワクしていましたが、実際当日になって空港へ行くと、両親と別れる寂しさと遠く離れて住む罪悪感、そしてアメリカ移住が大きな決断であることに現実味を帯びきて、『この決断本当にあっているのか?』『もう後戻りできない(入学金など大きなお金を支払ったので)』と急に不安になり始め、飛行機の中では半分泣きながらロスへ向かったのことを覚えています。辛いフライトだった〜。今思い出しても胸が痛い。

ゼロからの生活


第一話でも話しましたが、叔父が長年LAに住んでいたので、ロス到着後はしばらく叔父ファミリー宅へ居候させてもらいました。これは本当にラッキーで、人より恵まれた環境でアメリカ生活をスタートできたと思います。
常に家には人がいて寂しさはなかったものの、ホームシックと環境の変化で自分がどこにいるのかわからなくて精神的に落ち着かない日々。まだまだLA生活を楽しめてる感はなかったです。
けれど学校が始まるまでにアメリカ生活のベースを作るのにやることがあって塞ぎ込んでいる場合ではありません!

• ソーシャルセキュリティーナンバーの取得(マイナンバーみたいなもの。これがないと何もできない。)
• 銀行口座の開設 (小切手帳のオーダー。当時は家賃や公共料金の支払いは小切手がほとんどだった。現在は全てネット支払い!)
• 運転免許書の取得(車社会のLA。これもないと何もできない。)
• 車の購入(当時はUBERなどがなかったので、贅沢だけれど仕方なく中古車購入。)
• 自動車保険に入る(車を運転するからには不可欠)



とりあえずこの手続きをしなければLAライフはスムーズにスタートできません。
叔父叔母が少し助けてくれるとはいえ、いろんな手続きをしながら、私は全くこの国でまっさらの人間だわっと痛感。私という人に関するデーターも証明するものも日本のパスポート以外ない。ほんとうにゼロからのスタート。


一人暮らしのアパートは、タイミングよく叔父の知り合いが引っ越すので、そこを引き継ぐ感じですんなり条件の良いアパートが見つかり、トントン拍子で初めの一人暮らしをスタートすることに。
普通アメリカでアパートを借りるには、クレジットヒストリーやクレジットスコア(個人の信用力を数値で表したもので、クレジットカードやローンの審査、賃貸契約、就職など、様々な場面で信用度を測る指標として利用される)というものがないと契約できないのですが、アメリカに引っ越してきたばかりの学生の私にはそんなスコアもあるはずもなく、私の場合、叔父が保証人となってくれの叔父のスコアを借り無事アパート契約ができたのでした。これは本当に助かりました。


私のように保証人がいない場合でも、学生の場合は学校が提供している寮やアパートに住んだり、びびなびロサンゼルスなどの日本人コミュニティーの掲示板でルームメイトを探しているので、こちらの方が完全な一人暮らしは無理としても、クレシットスコアやソーシャルセキュリーナンバーがなくてもアメリカ暮らしをスタートできます。そして、ルームメイトが日本人だと色々教えてもらうことができるので安心かもしれないですね。不安なLA生活で役立つ日本人コミュニティー生活情報、掲示板のサイト載せておきます。

  • びびなび-ロサンゼルス暮らしの情報サイト。個人売買、ルームシェアーなど生活に役立つ掲示板。
  • lighthouse -日系スーパーの入り口にフリーペーパー版も置いていあるのでお買い物際にぜひゲット。
  • ロサンゼルス掲示板 -中古品の売り買いや、仲間募集など日本人コミュニティーの無料掲示板。
  • LA LA LA USA -ロサンゼルス暮らしの情報サイト。ニュース・暮らしの掲示板。

なぜアメリカでデザイン学校?どうやって学校選びをした?


アメリカへ来てから一ヶ月後にデザインカレッジでグラフィックデザイン科へ通い始めました。日本の大学ではデザインとは全く関係ない勉強をしていました。
小さい頃からアートやデザインが好きだったけれど、なんとなく自分に才能があるかわからす何もチャレンジせず避けてきた私。大学3年で就職活動するかアメリカ移住を選択するかの時、やっぱりこのまま適当に就職して流されるのは嫌だ、仕事するならクリエイティブなことがしたい、だったら本当にやりたいことをアメリカで勉強して行けるところまで行ってみよう!っと思い切って当時パッケージデザインやポスターデザインに興味があったため、グラフィックデザインの世界へ。

学校探しはアメリカに来る前から日本でしていました。移住前の1年前ぐらいからリサーチして準備を進めていたかな。学校選びで外せないリストは以下でした。

  • 2年制の学校
  • 学位が取れる
  • 学費がなんとか払える額である
  • 場所が通いやすい所にある

とにかくアメリカの大学は高い!そしてデザイン系の学校は特に!!
よってすごく行きたい学校はいくつかあったのですが、まず学費のところで断念。そして、すでに日本で4年制を卒業してるので、経済的な理由で2年制のしかも学位が取れる学校を探していると結構候補が絞られました。
一応デザイン系の大学が多いNYも候補へ入れましたが、実際旅行も兼ねて訪れたところ、NYは好きだけどなんかクリックしませんでした。騒がしい街の感じが東京と似ているし何か直感的にここでないと思いNYはパス。(その後NYで暮らすとは夢にも思ってなかった当時の私。NY時代のストーリーは第4話】で!)LAでも数箇所見学へ行きましたが、総合的に良いと思ったところが実際通う学校になりました。

もし時間とお金に余裕があるならば、留学前に実際に学校やその街へ行くことをお勧めします!物件と一緒で行ってみないとわからないこと、直感でアリ、ナシとわかることもあるので。あとで後悔しないためにもお勧めです。

デザイン学校での留学生生活スタート


英語はLAへ来る前から勉強していたためか、カレッジ入学時のTOEFLスコアーが良かったのでELS(英語を母語としない学習者向けの英語クラス)をスキップでき、日本では大卒なので一般教養科目も取らなくてよく、すぐにデザインの専門科目のクラスを受けれることに。これは時間も学費も抑えられるので日本の大学で勉強してきた時間も無駄ではなかったと思えました。

授業は、デザイン科ということもあり、ほとんどがビジュアルで難しい言葉も出てこないので割と苦労せず理解できていたように思います。授業を聞くことは大丈夫でしたが、自分の意見を言うことは苦手。特にデザインのクラスでは、ほぼ毎クラス、自分で作った課題作品をプレゼンするのでこれは結構恐怖でした。人前で話すのが得意でないし、その上英語もそこそこのレベルだったので結構ピンチです。アメリカ人クラスメイトのプレゼンで使っている言い回しをコピーしたり、適当に身振りやジェスチャーで誤魔化してやり抜きました。

学校のカリキュラムは、卒業後すぐに仕事で実践できるようなプログラムでした。
先生たちも現役デザイナーの人が多く、とてもフレンドリー。当時はやっとAdobeのグラフィックソフト、イラストレーターやフォトショップが主流になってきたばかりの時代だったので、割と手でする作業も多かった。現在ではクリック一つでできることも、当時はかなりの工程を経て完成させなくてならない事もあり苦戦したことも多々。それが逆に今は身になってよかったと思えます。
でも今のグラフィックソフトの機能の向上とユーザーフレンドリーなところに本当にびっくりです!CANVAなどのアプリがたくさんあって、デザインを知らなくても誰でもグラフィックデザイナーになれる時代。

私は割と積極的にクラスメイトと仲良くしてました。シャイな方だけど、せっかくアメリカにいるのだからなるべく色んな人と繋がっておこうと、宿題のことを聞いたり、作品作りを通してコミュニケーションをとっていました。
学校には日本人生徒も結構いて、今でも仲良くしている長年の友人もいます。けれど典型的な日本人だけとつるむ留学生になりたくなくて、バランスよく日本人グループともアメリカ人グループとも仲良くしてました。

私にとってこの留学生時代は、それほど苦労はなく(あまり苦労と感じなかった!?)念願だったLAライフをスタートできたのでを毎日満喫してました。
正直、学校後は遊び歩いていました!
遊ぶことで、友人の輪も広がったし、英語も日本で勉強してただけでは分からないスラングや日常フレーズも分かってきたり、LAでのいろんなイベントへ行ったり、暮らすことでしか得られない体験が沢山できました。
全くもって先のことなど考えず、LAライフを楽しむお気楽な学生でした。

今思えば、あの時の決断がすべての始まりだった

「海外に出るなんて勇気あるね」と思われるかもしれません。
けれど私にとっては、勇気というよりも「どうしても行きたい」という気持ちが勝っただけでした。
若かったから思い切れたのかな?
なんか根拠のない自身がなんとなくありました。
アメリカで生きていく。

アメリカで暮らしていること以外は、全く自分が思い描いたような人生ではないです。
マジっかと思うようなピンチなことも多々ありましたし、こんなはずじゃなかったと思った時期もあります。(第3話から最後まで読んで頂くとわかります!)
しかし、アメリカに来た事で、日本では得れないサバイバルな経験ができ、どこでも暮らせる自信のある強い女になれたので全く後悔はないです。本当にあの時思い切って日本を出て良かった。

次回予告 ▶️【第3話】LAでの10年
→ デザイン学校を卒業後、現地で働くという新たなステージに。ビザ問題、仕事探し、初外国人ボーイフレンドと初めてだらけの連続で、がむしゃらに過ごした日々を綴ります。

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