このブログは、アラフィフ、アメリカ企業でアパレルグラフィックデザイナーとして働いている私のこれまでの経歴、アメリカ移住・結婚・離婚・再出発について綴る全6話の連載です。
▶️【第1話】私がLAに移住を決めた理由(このページ)
🔗【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ →(こちら)
🔗【第3話】LAでの10年 →(近日公開)
🔗【第4話】NYへ引っ越し、仕事と結婚そして離婚 →(近日公開)
🔗【第5話】再びLAへ →(近日公開)
🔗【最終話】人生を変えたいあなたへ →(近日公開)
【第1話】私がLAに移住を決めた理由
こんにちは。ロサンゼルス在住、アパレルグラフィックデザイナーをしているパームスです。アメリカでの暮らしはもう25年になりました。日本の大学を卒業後にLAへ移り住み、現地のデザイン学校で学び、その後はNYにも転勤して8年暮らし、そして「やっぱりLAが恋しい」と戻ってきて7年目。今は、バツイチを経て、アメリカ人の彼と落ち着いたパートナーシップを楽しんでいます。
初めての海外旅行で衝撃を受ける
なぜLAへ住もうと思ったか。根本の理由は正直めちゃめちゃミーハーな理由です。
私が中高校生時代、流行っていたアメリカのドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』が大好きで、ハリウッド映画や洋楽、特にエレクトロニック音楽が好きでその時から外国に強く憧れを持っていました。そしてその憧れをもっと強めたのが、高校2年生の夏休みに初めてロスへ遊びに行ったこと。たまたま叔父が長年ロスへ住んでいたこともあり、海外旅行を経験させたかった両親が私を半ば強引に行かせたのでした。当時の私は、人生初の彼氏ができて、夏休みは彼とずっと一緒に過ごしたかったので、行くまでは早く旅が終わればいいのにと思うぐらいでした。

しかーし、飛行機を降りて、ロスに着いてみると、『なんだこれは!!!』と驚きの連続。
青くて大きな空にパームツリーがあちこちに、道も広い、建物も大きい!そして全てがキラキラと明るい!!日本とは何もかも違うことに大きなカルチャーショックを受けました。初めて日本国外に出て異文化に触れ、電気ショックを受けたような非常に大きな衝撃。そして、この旅が私の中の何かを刺激し、もっとアメリカを知りたい、英語が喋れるようになりたい、何か未知の世界が大きく広がるような気がしてワクワクして、どうにかしてアメリカで生活してみたいという夢を持つきっかけになったのでした。

日本での就職活動はせず、アメリカ留学を決める
その後、大学3年で就職を考える時、正直なところ、私は「このまま日本で就職すること」がどうしてもピンと来なかったのです。やっぱりアメリカへ行くことが諦められず、具体的に何がしたいとか、プランがあって行くという感じではなかったけれど、自分の性格上、一度就職するとなかなか仕事を辞める勇気がないだろうと思ったのと、あの頃の私にとっては、「やらないで後悔するより、やってから後悔したい」という気持ちの方が強かった。よって、思い切って大学卒業後、とりあえずは2年間アメリカ留学をするという決断をし就職活動はしないことに。


もちろん親はなかなか同意はしてくれず、自分がどれだけ本気がということを時間をかけて行動で見せていきました。留学先の学校の資料を揃えたり、実際に学校行って見学したり、当時はインターネットもそれほど普及していなかったのでリサーチは結構大変だったと思います。英語も今ほどできなかったので一体どうやって調べていたのか謎です。(当時はgoogleなくても生きていたのすごい!)
大学は最小単位で通い、ほとんどの時間バイトを入れて、LAで通うデザイン学校の入学金や旅費を自分で働いたお金で全部払いました。この頃の私は、夢実現のために全力で努力をし、とてもキラキラしていたと思います。
なぜ自分の経歴を書くことに?
海外で暮らしてみたい。
海外へ移住しなくても、環境を変えて何かをしたい、自分の可能性を試してみたい。
そんなふうに感じている人は、きっと私だけではないはずです。
40代でも、50代でも、60代でも、人生を変えるチャンスはきっとある。
私のこれまでのストーリーを書き、私の人となりを知ってもらい、ブログに少しでも興味を持って頂くこと、そして何か変えたい、チャレンジしたいと思っている人に少し背中を押す“きっかけ”になれば嬉しいと思っています。
次回予告 ▶️【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ
→ 特に将来の計画も無しにアメリカへの憧れだけで日本を飛びたした私。 LAデザイン学校留学生活のリアルと、初めての一人暮らしについてお話しします。
更新されたらこちらにリンクを貼ります☺️