LAで夢を追い、NYで揉まれ、またLAへ:私のアメリカ生活25年のストーリー【第4話】

このブログは、アラフィフ、アメリカ企業でアパレルグラフィックデザイナーとして働いている私のこれまでの経歴、アメリカ移住・結婚・離婚・再出発について綴る全6話の連載です

🔗【第1話】私がLAに移住を決めた理由  →(こちら

🔗【第2話】大学卒業後、夢と不安を抱えてLAへ →(こちら

🔗【第3話】LAでの10年 →(こちら)  

▶️【第4話】NYへ引っ越し、仕事と結婚そして離婚 →(このページ)  

🔗【第5話】再びLAへ →(こちら)  

🔗【最終話】人生を変えたいあなたへ →(こちら


【第4話】LAからNYへ〜都会の洗礼と人生のリセット

30代前半、私はまたしても大きな転機を迎えました。
リーマンショックが起きて、私が働いていた会社も規模縮小するため、本社がNYにある会社に勤めていましが、私が働いていた部署のLAオフィスを閉めるという決断をされました。NYに引っ越してくるならそのまま仕事を継続しても良いというオファーをもらい、悩んだ末、当時付き合っていた彼と共にNYへ引っ越すことになりました。

NYの厳しさを知る

LAは、いつもどこかのんびりしていて「まぁ、何とかなるよ」と言ってくれるような感覚があります。東京出身なので、人が多い街の感じには慣れていましたが、NYは違いました。街全体が張り詰めたようなエネルギーに満ちていて、「立ち止まる暇なんてない」と急かされている様。人の多さ、スピード。この街では、誰もが何かを求めて本気で来ている。LAライフスタイルとは全く違くことを肌で感じた私でした。

そして何より、冬の厳しさ!私たちはクリスマス後にNYへ引っ越したので、LAの過ごしやすい冬に甘やかされていたため、ちゃんとしたジャケットも持っていなかったこともあり、かなり寒さが身に沁みビビりました!スノーブーツとダウンジャケットはNYの冬を越すにはマストです!

NYでのアパート探しはとても大変!

NYでの初めての住まい探しは本当に苦労しました。初めての時だけでなく、NY時代のアパート探しは本当にストレスで大嫌いでした。
アパート探しでLAとは違うところが結構あります。まず良い条件の物件が少ないこと。もし良い条件の物件が見つかっても、競争力が激しくて検討しているうちに、すぐに他の人取られてしまいます。そして、家賃がLAよりは高いこと。狭くて、古くて、床も歪んでいる、エレベーターがないなんて当たり前で、それでもかなりの家賃。
引っ越したばかりの時は、右も左もわからないので、とりあえずマンハッタンに住むことを希望。ブローカーについて何件も物件を見ましたが、なかなか条件に合うアパートに出会えす苦労しました。結局、希望リストの何項目かを減らして、私たちの場合は、1ベットのアパートを希望でしたが、最終的に住むことになったアパートはワンルーム。かなり広い方だったので妥協しました。全て希望通りのアパートが見つかるなんて、マンハッタンでは、殆どないと思います。(お金に制限がなければ見つかるかもしれませんが。)
ロケーションはアッパーウエストサイドで、有名なNatural History Museum(アメリカ自然史博物館)のすぐそば、そしてセントラルパークへ歩いて行ける距離と最高の立地条件でした。今でもあそこに住んでいたのが夢のようです

新しい職場と初めての失業

NYの職場はミッドタウンのGarment District、多くのファッション会社が集まっているエリアにありました。LAの会社は、広いスタジオのような仕切りのないスペースの場合が多かったですが、それとは違い高層ビルの中にあり『会社勤め』という感じでした。社員の皆さんもLAよりはきちんとした装いの人が多く、私の通勤ファッションもNYに来てから変わりました(クローゼットは黒の洋服や革靴が多くなりました)。やはりNYのファッション業界は活気があってそこで仕事ができることはとてもエキサイティングでした!
仕事内容は特に変化はありませんでしたが、デザイナー私一人、セールス一人の二人で部署を回さなくてはならず、ストレスもプレッシャーも多かったです。

働き始めて1年後、私が働くブランドの業績が思わしくなく、私は解雇になりました。アメリカでは会社に利益がない場合は容赦無く社員を切ります。合計5年も勤務したのと、解雇なんて生まれて初めての経験でかなりのショックでした。しかも会社にビザのスポンサーになってもらっていたので、今後どうなるのかとても焦りました。

アメリカで正社員として働いて解雇になった場合、Severance payという退職金のようなものが払われます。勤続年数に応じて、解雇後数ヶ月給料が払われたり、消化しきれていない有給など支払われたりします。
幸いにも私の場合、解雇後2ヶ月は給料が支払われ、失業保険も申請すれば数ヶ月はなんとか生活費は払えそうでした。そしてタイミングよく解雇になる数ヶ月前にLAから一緒に引っ越してきた彼と結婚をしたので、結婚によるグリーンカード申請を既に済ませていました。申請中に合法的に働けるよう一時的労働許可証も申請中だったので、許可書を待ちながら仕事探しを続けました。

すれ違い新婚生活とNY暗黒時代

幸いにも解雇された一ヶ月後には再就職先が見つかり私は仕事へ戻ることができました。少し状況が上向きになり、これからもっと旦那と一緒にNY生活楽しむぞっと思った矢先、彼が頻繁にLAへ仕事で行ってしまうことが多く一人の時間が多くなり寂しい日々を送ることに。彼がNYへ帰ってきても、フリーのカメラマンだったので仕事の時間もバラバラで一緒居れる時間が作れなかったり、新たにクライアントを見つけるためと言い、夜な夜なNYのパーティーシーンへ出かけ朝まで帰ってこないこともしばしば。結婚したのにこんな生活?特に金銭面で彼はルーズで、安定した給料が入ってくる会社員の私からすると、彼の行動は理解し難く、私が思い描いていた結婚生活とは違って、徐々に彼へのリスペクトが減っていきました。そうするとケンカの頻度も増え、どんどんと気持ちのすれ違いに。

そんなある日、彼から急に別居を申し出されました。意味がわからない。喧嘩はするけど、きっとどこかで修復できると思ってた私。心の底では彼のことを好きでいたし、一生一緒に居ると思っていた。家を出て行かれた時はかなりのショックで、この時人生で初めての重い鬱になりました。

別居ということが受け入れられず、かなりに苦しんだ私。なんとかベットから出て会社に行って帰ってくるのがやっとだった日々。私以外の世界の全員が幸せそうに見えて、『みんな死ね!』と思ったりも。かなり病んでいました。セラピーもこの時初めて通い始め、当時はとても助けられました。

放っておけば彼が帰ってくるだろうと、初めは二人の関係修復を願っていましたが、いつまで経っても「どうしたいかわからない」と優柔不断な返事しかしない彼に、私はある日、痺れを切らしました。セラピーセッションのおかげか、時間が経つと、「やっぱりこのままではいけない」、「今ならまだ30代だし色々とやり直しができる!」と自分軸で冷静に物事を考えられるようになったようで、急に彼の帰りを待つのがアホらしくなり、私の方から離婚を申し立てました。女って一度前を向いたら強いです!

やっと一歩前に進めたのに、この後も嫌なことが立て続けに起こりました。悪いことが続く時期って人生に何度かありますよね。当時の私はそうでした。
まずは、その時働いていた会社が経営状況が良くなく解雇される恐れがあるという噂を聞き、転職活動も始めなくてはならなくなった私。その上、住んでいたアパートの更新時期が迫り、家賃も一人で払うには高かったので、アパート探しも始めなくてはならす、離婚・転職・引越しの三重苦のストレスで潰れそうな私でした。この時ばかりは『神様、勘弁してくれよー!』って本当に思いましたよ。

『乗り越えられない試練はない』と言いますが、これは本当です。簡単ではないです。めちゃくちゃ辛いです。死にそうです。でも乗り越えるしか選択肢はなく、離婚、転職、引っ越し、な〜んとか全部やり遂げました。

離婚後、再スタートしたブルックリンでの日々

離婚後、独身として新しくブルックリンでの生活を始めました。この頃、ちょうどブルックリンにオシャレな場所が増え、マンハッタンに住んでいる人も多く移り住んで来た時期でした。タイミングよくLA時代から仲良くしていた日本人の友人がブルックリンに引っ越してきたので、二人でブルックリンの素敵なスポットを開拓して楽しむことができ、寂しくなることはなく彼女には今でもとても感謝しています。彼女を通して、新しくつながる友達も増え、気づいたら週末いつも遊んでくれるブルックリン仲間が出来上がっていました。この仲間たちのおかげで、とーっても楽しい充実した日々を過ごしました。

30代半ばだった当時の私は、やっぱり再婚したい。できれば子供を持ちたいと思っていたのでパートナー探しにも積極的でした。イベントやパーティーがあれば絶対参加、会う人々に『良い人がいれば紹介してほしい。』とかなりアピールしたり、もちろんデートアプリもやりました。占いや縁結び巡りにもどっぷりハマり、かなり必死な私でした。デートに数回行くことはよくありましたが、長く続く相手とはなかなか出会えませんでした。二人ほど、長くデートを重ねる男性がいましたが、やはりLA時代同様、正式お付き合いしましょうトークになると避けられたり、振られたり、NYデートシーンの厳しさを痛感していました。

そんな生活を4年ほどして40歳になり、未だパートナー探しには続けていたものの良い出会いはなく、仕事も安定し友人にも恵まれたけれど、常に心のどこかで寂しさがあって消えませんでした。
そんな自分に疲れてLAへ旅行へ行った時に、「ゆっくりとビーチを歩いたり、アウトドアを一人で楽しむライフスタイルも良いかもしれない。私が心落ち着けるのはLAかもしれない。」と強く思ったのでした。この後私は、少しづつ『LAへ戻る計画』を考え始めました。

次回予告 ▶️【第5話】再びLAへ
→ なぜ再びLAへ戻る決断をしたのか、アラフィフとなった今の恋愛観、そして“本当に心地よい場所”について綴っていきます。

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